指先寓話 5㎏の小麦粉

指先寓話

いくらなんでもこれはないだろう。
実家から5キロの小麦粉が送られてきた。
俺は、東京の大学に通っている学生だ。アルバイトをクビになったことを実家の姉にLINEで話したら実家から5キロの小麦粉が送られてきた。

「よりによってなんで小麦粉なんだよ」
男子学生の生活だ、自炊などしていない。
せめても米だったら炊飯器があるからご飯を炊けるようなものだが、実家が運悪く北海道の小麦農家だ。
分厚い紙袋を開けると中に真っ白な小麦粉が入っていたときの絶望感たるやなんたるや。
姉にすぐにLINEで苦情を送ると『とりあえず何とかして食えwww』
とだけ送られてきた。
これ程に『w』という文字が憎いと思ったことはない。
そのまま捨ててしまおうかとも思ったが少しは金欠の足しにはしないとなと思った。

クックパッドで小麦粉のレシピを検索するお洒落なパンやピザが並ぶ。
しかし、家には当然、オーブンなどない。
オーブンを使わない小麦粉のレシピ、小麦粉のレシピ…
「すいとん…」
料理などしたことがない俺でも作れそうなレシピが出ていた。
『すいとん』を作るために近所のスーパーへ買い物に行く、長ネギと、安い鶏肉と。。。
家に唯一ある片手鍋に水をと切った材料を放り込み、ぐつぐつ煮えたところで水を入れて練った小麦粉を入れる。
「けっこう、美味そうじゃないか」
ずっとカップ麺暮らしだった俺に久々の食事らしい食事だ。
鍋ごと、ちゃぶ台へ運び、食い始まる。
お湯にネギの青臭さと、鶏肉の生臭さが溶けた味だ。
おかしいなと思いながら再度クックパッドを見ると『だしの素』なるものを入れないといけなかったらしい。
「知るかよ、そんなもの」
とりあえず、俺は塩気で全てを誤魔化すことにし、塩をたくさんかけて生臭さくて青臭い物体を飲み込んだ。

バイトが決まった。
今度のバイトは食事つきだ。近所の飲食店で働くことになった。
「これで、生きていける」
実家から送られてきた小麦粉は結局、ほとんど手つかずにそのままになった。
これで学生の本分たる学業に打ち込める。
嬉しさが溢れる俺は万年床へ横になると流行の漫画を読んだ。

それからは、大学の勉強とバイトに明け暮れる日々となった。
実家から送られてきた小麦粉の存在などすっかり忘れていた。
そんな日々を過ごしていて、ついに俺にも恋人らしき友人が出来た。
男たるものいつ部屋へ呼んでもいいように準備をしておかないと。
足の踏み場もない部屋の整理を始めた。
「小麦粉」
すっかり忘れていた5キロの小麦粉の存在を思い起こした。
中を覗くとうじうじと虫が這っていた。
「うわぁっ」と俺は思わず声が出た。
俺の嫌いなもの第一位は虫だ。
頭がパニックになった俺は引っ越しのときに使ったガムテープで小麦粉の開いた口を急いで閉めた。
捨てないと、捨てないと。

それから、何度も小麦粉を捨てようと思った。
しかし、虫がたっぷり入っている物体にしては重過ぎるのだ。
紙袋を持った瞬間に鳥肌が立ち、捨てることが出来ないでいた。
夜寝ていても、紙袋の中で虫が蠢いているんじゃないかと気になるようになった。

人間の忘却力とは素晴らしい。
寝ていても気になっていた小麦粉の存在をすっかり忘れて暮らすようになった。
そう、恋人らしき友人が家に来る当日まで。
彼女がついに家に来る。
急いで掃除をする俺の目の前に小麦粉の袋が立ちはだかる。
「どうすればいいだろう」
持ち上げると袋が少し蠢く。
「最悪だ」
とても何処かへ運ぶことなど出来ない。
全身の毛という毛が立ちあがったんじゃないかと思うくらい身の毛をよだちながら、部屋の見えない隅っこに方に寄せるのが俺の能力の精一杯だった。

彼女が家にやってきた。
たわいもない話が楽しい。
彼女が手料理を作るという、嫌な予感がした。
嫌な予感とは往々にしてよく当たるものだ。
家にある、鍋や包丁を確認していく彼女が小麦粉の袋を見つけた。
「あ、それは」という俺に対し。
「たくさんの小麦粉だね、ガムテープだけでも湿気るかもしれないよ」
とビリっという音が聞こえた。
部屋中に羽虫が飛んだ。それは一斉に。
俺の恋は、終わった。

~~

今でも5キロの小麦粉は笑い話だ。
羽虫が飛びまわり震える俺に対し彼女は冷静だった。
殺虫剤を買ってきて撒き、小麦粉はゴミ捨て場へすぐに捨てられた。
そんな彼女が今の俺の嫁だ。
パンの焼ける臭いがする。
料理が大好きな嫁だ。今は小麦粉でもなんでもウェルカムだ。

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